惑星からの逃走線

読書記録や研究上で思いついたこと、日々の雑感など。

発見的なアートと解決的なテクノロジーと記述的なサイエンス

『知』の在り方には,掲題の三つがあるような気がする。 アートは,多分に『問題発見的』だ。アーティストは,作品を通じて様々な「問題」を提起する。 それは,かなりの場合において今まで問題と看做されていなかったものを含む。あるいは,問題に限らず,…

読書戦略

一生のうちに全ての知識を手に入れることはできないのを理解しよう。 pic.twitter.com/5PZXER4CGM — 研究しろbot (@kenkyu_shiro) 2015, 9月 9 上記の例は, 流石に比較対象が極端ではあるが, その分極端化で事態の本質を点いている。 これを見ればわかるよう…

読みたい本

オートポイエーシス・システムとしての法 (ボイエーシス叢書) 作者: グンタートイブナー,Gunther Teubner,士方透,野崎和義 出版社/メーカー: 未来社 発売日: 1994/09 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (1件) を見る 日本の統治構造―官僚内閣制から議院…

優先順位を付けられない人≒世界観が一定しない人

「優先順位を付けられない人≒世界観が一定しない人」という仮説。 私自身,優先順位付けが下手なことに関して人後に落ちないと自負する身だが,要は私のような手合は,その価値判断基準が明確化されていないわけである。価値判断基準が明確でないということ…

「専制2.0」?

さて,周知のとおり『ジャスミン革命』でFacebookなどのソーシャルメディア,あるいはソーシャルネットワークサービス(以下,両者をまとめて便宜的に"SNS"と呼ぶ)が重要な役割を果たしたと言われている。詳述するまでもないが,一定段階以降の経過を措けば,…

時間の使い方が下手

愚痴などを書いてみる。 そもそも,時間の使い方が少々酷すぎはしまいか。 一日の1/3以上を寝て過ごしているのは,まあ生理現象だから仕方ないにせよ,作業と作業のインターバルが長すぎるし,だいたい本当に意味のある作業をしているかも怪しい。 もう少し…

『本質的なアナロジー』と『表面的なメタファー』;あるいは,なんで予測できないモデルを作るのか。

社会をシミュレートして理解しようという発想は,言うまでもなく「アナロジー」という思考の一形式に基づいたものである。例をとって説明すれば,ロトカ=ヴォルテラ方程式で,x, y は各々捕食-被食関係にある生物種のポピュレーションを表示したものだが,無…

丸山眞男vs数理モデル化:あるいは凡人が概念を操作する可能性について

バーバルな研究で,かつ「論理を追いやすい」著者というのは貴重だ。そして丸山眞男はそうである。 彼自身の,相当に複雑かつ慎重で,そして膨大な思惟は一見して近寄りたくあるが,しかし実際には「論理を追う」こと自体はこの選集『丸山眞男セレクション』…

UNESCOの "General History of Africa" はスゴい

というわけで、たぶん日本でどれだけ需要があるかわからないような情報を、気まぐれに上げてみよう。 今回紹介するのは掲題の通り、ユネスコが出版している『アフリカの歴史』の英語版である。驚くべきことに、多少古いとはいえかなりの水準のアフリカ史総説…

Haskell に手を染める;社会シミュレーション関連の視点から雑感

文系とも理系ともつかぬ中途半端な分際で、あろうことか haskell に手を出してしまった。 で、haskell の(入門の)*1023+入門をした身として、多少気になった点をいくつか。個人的には社会シミュレーション関連とも絡めて書きたい。 ・副作用と参照透過性 副…

図書館で借りた本

岩波講座 物理の世界 物理と情報〈1〉 スピングラスと連想記憶 作者: 西森秀稔 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 2003/01/29 メディア: 単行本 クリック: 5回 この商品を含むブログ (5件) を見る 宇宙船地球号操縦マニュアル (ちくま学芸文庫) 作者: バッ…

社会起業家的意識高い系の功罪

意識高い系のことを、必ずしも全面的に嫌っているわけではないが、ここでは彼らの『功罪』について考えようと思う。特に、「社会起業家」といったふうに呼ばれる人たちに焦点を当てたい。私自身は全くそういう人ではなく、単なる外野だが、ある程度はそうい…

今、勉強したいこと

政治思想史 公共哲学 組織論(経営学) 位相と集合 英語・フランス語 アレクサンドル・コジェーヴの著作を読む マクロ経済

世界が狭っ苦しい

と、最近感じる。 狭くなったのは私の認知フレームなのやもしれぬが。 たぶん、一番大きな原因は以前の私は新しい知識を得ることでワクワクできたのに、今ではそれが難しくなっていること。 TwitterとかFacebookとか、始めたての頃は本当にワクワクしたよう…

いろいろと書く

最近、自身の身の振り方とか、自分が何をしたいかについて、考えることが多い。中学生か。 ただ、私としては真面目に考えているつもりだ。 とりあえず、結論として私は研究者・学者には向いていないと思う。 体系化された知識、それは専門分野といってもいい…

コンテクスト依存な知識とコンテクスト・フリーな知識

科学は、再現性を持つため(それは科学の定義のひとつだ)に、万人にとって役立ちうる知識だ(この「役立つ」という言葉は曲者だが、その定義に関する神学論争は措いておこう) 科学には再現性がある。どんな人でも、その基礎的な能力さえあれば、同じコードを書…

徒然

とある発表で使うPreziを作成した。 ご興味のある方は是非ご覧ください。 https://prezi.com/z8wdnscyqlwe/presentation/#

人の「個としての弱さ」「集団としての弱さ」そして縁

とある友人のFacebookポストを見て、思ったことをつらつらと。 以前、私なりの思索として『弱さ論』というものを書いた。 ルール・価値判断基準、強者弱者、そして逸脱と可能性 - 世界模型kaito-y.hatenadiary.com 『弱いこと』の定義について - 世界模型kai…

Agent-based Social Simulation が持つ「超越者の視点」?

最近、朧に思うこととして「ABSSが持つ『超越者の視点』」と仮に呼んでいるものがある。 Agent-based social simulation - Wikipedia, the free encyclopedia 要は、社会シミュレーションというものは当然というか社会の全てを再現することは不可能だしあま…

課題点

社会や人間を自分の目で見ていないところ。できるだけ、実地に即して考えたり、見聞を広めたりする。とりあえず、自分の家族や街ゆく人の参与観察を始めた。 Actor Network Theory と社会シミュレーション特に Agent-based modeling との関連についてそのう…

社会シミュレーションと社会思想の『適切な関係』に関する一考察

社会シミュレーションと社会思想の『適切な関係』に関する一考察 人はなぜ、社会シミュレーションを行いたいのだろうか。 今の社会物理・経済物理やAgent-basedな社会シミュレーション、微分方程式や確率モデルを用いた数理モデルを用いた研究の多くは「社会…

ルール・価値判断基準、強者弱者、そして逸脱と可能性

先日、信頼できる友人二人とかなり長時間にわたって話ができる機会を得た。 そこで、「弱さ論」に関して相応の進捗があったため、ここに記しておく。 まとめると、以下のようになる。 まず、「弱い」ということは何者かと比較して相対的に「弱い」、というこ…

罪と罰と記憶

罪は記憶される。被害者は、生きている限り加害者の罪を忘れないだろうし、忘れることができない(この事実は、教室内のいじめやDVから国際的な歴史認識問題に至るあらゆるレベルで散見される) 我々の世界を、もつれあった被害-加害の関係の連鎖が、World Wid…

無題

自然の自然と、心の自然とはたぶん少し違って、心が自然であるためには、なにもしないことではなくて、また別の努力が必要だと思っている。坐禅とかはそういう心の自然とかを探求するひとつの修行だったんだろうと思う。 — 下西 風澄 (@kazeto) 2014, 3月 11…

『癒える』なること

以前、こんな記事を書いた。 治癒の記 - 世界模型 治癒の記 - 世界模型 それから少し経ち、改めて癒やしとは何かについて考えてみたい。本当に自分は『治った』かを問う、少し危うげな作業だ。 なぜこのトピックを考え始めたかといえば、中井久夫先生の『世…

「自分は自分を偉大にしたいから学問をやっているのだろうか」と自問する、院生の『私』

表題のような自問を、最近よく思う。 いや、以前からぼんやりとは思っていたが、直面する勇気はなかった。 たぶん、単に「他人より上の立場でありたい」ならば、普通の就職をして、出世競争に身を投じれば良いだけだ。もちろん、報われるかは分からない。し…

なぜ、我々はシミュレーションが現実を反映していると思えるのか?

シミュレーションは、特にコンピュータ・シミュレーションに限れば、それは本質的にはビット列であるはずだ。 では、なぜ我々はシミュレーションが現実を――たぶん、0と1だけで表現はできるだろうが、おそらくもっとずっと手の込んだ実装がなされている系を――…

「論理的であること」「真実であること」の『意味』とは

時として、真実は人を傷つける。 時として、論理的な人間は不幸である。 いや、ただ単に「時として」ということならば良い。 しかし、実際には論理が、真実が人を絶望せしめる。 では、真実を求める学徒は、或いは論理の考究者は、どのようにして自身の存在…

善・美の一回性

美は明らかに一回性であり、善もそれに近いかもしれない。

自己の肥大した人、他者の肥大した人、環境の肥大した人

この話はほぼ、ある人からの受け売りである。その人は尊敬でき、かつ信頼できる私にとって貴重な人である、とだけ紹介しよう。 昨日の記事が、この記事の前提である。 <a href="http://kaito-y.hatenadiary.com/entry/2015/03/05/124119" data-mce-href="…