惑星からの逃走線

読書記録や研究上で思いついたこと、日々の雑感など。

世界の粒度について

 いきなり大上段に構えた話で恐縮だが,近代科学は基本的には――無論,例外は多々ありそれは最近になって増加傾向にあるように見えるが――要素還元主義的であった。世界を十分に分割し,分割された範疇内での事象を可能な限り徹底的に観察し,考察し,実験を行い,そして後に綜合を行う。この戦略は,明らかに歴史的に見て大成功を収めたといえる。複雑系や,創発減少の研究者には不満だろうが,しかしやはり要素還元主義者はかなりの成功を収めている。とくに,自然科学の分野ではその傾向は顕著で,よほどのつむじ曲がりでもない限りは否定しようともしない。

 さて,ではこの戦略には一切の瑕疵がないのだろうか。万能,全能な方法として,人間の持つ知を際限なく拡大してくれるのだろうか。これが機能不全を起こすような状況を,仮定し得ないであろうか。 

 仮に,分割すべき対象が,実数のように「無限に」あるいは人間の視点からではほとんど無限に分割できたならば,どうであろうか。謂わば,世界の『粒度』が実質無限であったならば?

 要素還元主義は,多分にアトム的な世界観に依拠している。どんどん分割してゆけば,いつか必ず最早これ以上は分割不可能な原子にたどり着き,そしてそれ自体が有限な存在である以上,それを知り尽くせばあとは世界を理解したも同然である,というシナリオが,背後にはある。しかし,(もちろん専門外なので怪しい理解ではあるが)現代の素粒子物理学も,原子にたどり着いたと思えば陽子・中性子・電子に,さらにクオークに,ハドロンに,果ては超ひもにまで行き着いてしまい,なかなか本来的意味でのアトム=分割不能性を持つ粒子,には行き着かない。もはや,物理学者たちは「とりあえず行けるところまで行こう」といった態度で極小スケールの世界に取り組んでいるようにさえ見える。

 話が物理学に留まっていたなら,まだしも簡単だったかもしれない。しかし,社会科学等においては recursion が存在する――つまり,再帰的に自己を内含するような事象が発生しうる。この地点で,最早要素還元主義の翼は羽ばたかない。曼荼羅に対し,それはただ沈黙するのだ。

 では,要素還元主義と補完的な代替案はないだろうか。おそらく,人類はまだそれに対し模索期にあるのだろう。冒頭に述べた創発概念や複雑系などは,それに意識的か無意識的か(まず意識的だと思うが)応答しようとした試みであると思う。世界の粒度が無限大に発散する地点に,人間の手は届くのだろうか。