2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧
先日、信頼できる友人二人とかなり長時間にわたって話ができる機会を得た。 そこで、「弱さ論」に関して相応の進捗があったため、ここに記しておく。 まとめると、以下のようになる。 まず、「弱い」ということは何者かと比較して相対的に「弱い」、というこ…
罪は記憶される。被害者は、生きている限り加害者の罪を忘れないだろうし、忘れることができない(この事実は、教室内のいじめやDVから国際的な歴史認識問題に至るあらゆるレベルで散見される) 我々の世界を、もつれあった被害-加害の関係の連鎖が、World Wid…
自然の自然と、心の自然とはたぶん少し違って、心が自然であるためには、なにもしないことではなくて、また別の努力が必要だと思っている。坐禅とかはそういう心の自然とかを探求するひとつの修行だったんだろうと思う。 — 下西 風澄 (@kazeto) 2014, 3月 11…
以前、こんな記事を書いた。 治癒の記 - 世界模型 治癒の記 - 世界模型 それから少し経ち、改めて癒やしとは何かについて考えてみたい。本当に自分は『治った』かを問う、少し危うげな作業だ。 なぜこのトピックを考え始めたかといえば、中井久夫先生の『世…
表題のような自問を、最近よく思う。 いや、以前からぼんやりとは思っていたが、直面する勇気はなかった。 たぶん、単に「他人より上の立場でありたい」ならば、普通の就職をして、出世競争に身を投じれば良いだけだ。もちろん、報われるかは分からない。し…
シミュレーションは、特にコンピュータ・シミュレーションに限れば、それは本質的にはビット列であるはずだ。 では、なぜ我々はシミュレーションが現実を――たぶん、0と1だけで表現はできるだろうが、おそらくもっとずっと手の込んだ実装がなされている系を――…
時として、真実は人を傷つける。 時として、論理的な人間は不幸である。 いや、ただ単に「時として」ということならば良い。 しかし、実際には論理が、真実が人を絶望せしめる。 では、真実を求める学徒は、或いは論理の考究者は、どのようにして自身の存在…
美は明らかに一回性であり、善もそれに近いかもしれない。
この話はほぼ、ある人からの受け売りである。その人は尊敬でき、かつ信頼できる私にとって貴重な人である、とだけ紹介しよう。 昨日の記事が、この記事の前提である。 <a href="http://kaito-y.hatenadiary.com/entry/2015/03/05/124119" data-mce-href="…
自己-他者-環境という、ある種の三位一体。 人間には、(たぶんだが)「他者」がいる。それは環境でもなく自己でもない。 このことの意味。
先日から『弱いことの意味』について、断続的に考えている。 では、『弱い』とは具体的にどういった状態を指す語なのか。 『弱い』という、かなり基礎的な語彙を、より説明的な表現に分解することは可能か? 『弱い』という言葉は様々な場面で使われる。 「…
本を読む本 (講談社学術文庫) 作者: J・モーティマー・アドラー,V・チャールズ・ドーレン,外山滋比古,槇未知子 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 1997/10/09 メディア: 文庫 購入: 66人 クリック: 447回 この商品を含むブログ (320件) を見る 所謂、「スゴ本…