惑星からの逃走線

読書記録や研究上で思いついたこと、日々の雑感など。

メモ

人の「個としての弱さ」「集団としての弱さ」そして縁

とある友人のFacebookポストを見て、思ったことをつらつらと。 以前、私なりの思索として『弱さ論』というものを書いた。 ルール・価値判断基準、強者弱者、そして逸脱と可能性 - 世界模型kaito-y.hatenadiary.com 『弱いこと』の定義について - 世界模型kai…

罪と罰と記憶

罪は記憶される。被害者は、生きている限り加害者の罪を忘れないだろうし、忘れることができない(この事実は、教室内のいじめやDVから国際的な歴史認識問題に至るあらゆるレベルで散見される) 我々の世界を、もつれあった被害-加害の関係の連鎖が、World Wid…

無題

自然の自然と、心の自然とはたぶん少し違って、心が自然であるためには、なにもしないことではなくて、また別の努力が必要だと思っている。坐禅とかはそういう心の自然とかを探求するひとつの修行だったんだろうと思う。 — 下西 風澄 (@kazeto) 2014, 3月 11…

「自分は自分を偉大にしたいから学問をやっているのだろうか」と自問する、院生の『私』

表題のような自問を、最近よく思う。 いや、以前からぼんやりとは思っていたが、直面する勇気はなかった。 たぶん、単に「他人より上の立場でありたい」ならば、普通の就職をして、出世競争に身を投じれば良いだけだ。もちろん、報われるかは分からない。し…

善・美の一回性

美は明らかに一回性であり、善もそれに近いかもしれない。

社会科学と内部観測[メモ書き]

社会科学は必然的に内部観測を通して構成する必要がある。 内部観測 - Wikipedia ここで、素朴な問いだが、「社会科学者自身が系を構成する一要素であるところの社会を、社会科学者は俯瞰可能か、仮に可能ならばどのように可能になるのか」という疑問を持っ…