惑星からの逃走線

読書記録や研究上で思いついたこと、日々の雑感など。

課題点

  • 社会や人間を自分の目で見ていないところ。できるだけ、実地に即して考えたり、見聞を広めたりする。とりあえず、自分の家族や街ゆく人の参与観察を始めた。
  • Actor Network Theory と社会シミュレーション特に Agent-based modeling との関連についてそのうち考察したい。ABM において、環境を agent の一つとして観ることも可能っぽい。
  • プログラミング、数学と語学を今まで以上に頑張る必要を強く感じる。
  • 最近つらつらと思うのは「Agent-based modeling に内在する『超越者の視点』」と仮に私が呼んでいるものが、どういった意味を持つのかについて(?)
    何となくだが、ABM 特に社会シミュレーションの文脈でなされるそれは「超越者の視点」を取ることが多いというか、割りと「ABMを実施している研究者自身が社会の中でどう位置づけられるか」について無自覚な傾向があるように思われる。
    いずれ、時間を割いて考察する。
  • 睡眠時間は死守すべきなので、可能な限り早寝早起きをして朝食と昼食をがっつり摂って更に夕食を抑え間食は可能な限りなくす。

社会シミュレーションと社会思想の『適切な関係』に関する一考察

社会シミュレーションと社会思想の『適切な関係』に関する一考察

 

 人はなぜ、社会シミュレーションを行いたいのだろうか。

 今の社会物理・経済物理やAgent-basedな社会シミュレーション、微分方程式や確率モデルを用いた数理モデルを用いた研究の多くは「社会現象がなぜ・どのようにして・なんのために発生するのかを解明したい」というモチベーションにもとづいているように思われる。つまりは、規範的分析というよりは記述的分析が多くを占めているというのが私の印象である。

 

 だが、これらの記述的分析をドライブするモチベーションは、更に深層の、より根本的なモチベーションにドライブされていないだろうか?

 ある現象を制御するには、その現象を観測し理解する必要がある。

 つまりは、社会に対しても同じことで、社会を知らずばそれを上手く動かすことはできないはずである。そのような、極めて理学部的でなく・むしろ工学部的な動機が、多くの数理的手法を駆使する社会科学者には潜んでいるように思われる。

 

 無論、上記二点は私の単なる印象であり、それを一般化して述べることは許されない。

 しかしながら、仮に――おそらくはそう遠くもない将来――『規範的な社会シミュレーション』を研究者たちが実施する日もくるだろう。

 というより、そうしなければおそらくは社会シミュレーションという小さなディシプリンがその正当性を、社会それ自体に対して示せない。

 最終的には、政策立案者が判断する際の補助的な材料として供されることをも、視野に入れるべきであろう。

 そういうわけで、今後は仮に規範的分析を社会シミュレーションで行う場合を想定し、更にその上で我々社会シミュレーション研究者がどのように社会思想・公共哲学・あるいはイデオロギーといった、極めてバーバルな諸概念諸思想と適切にやっていくべきか、について、本稿では論じたい。

 

 まず指摘すべきなのは、我々はK. Popperの手厳しい批判の対象となった「歴史法則主義=歴史主義」(Historicism)からは可能な限り距離をおくべきだということである。なぜか?

 Popperはその著書『歴史主義の貧困』で、歴史に法則を見出そうとするhistoricismは論理的に成立し得ない、とした(詳細は同書を参照されたい)

 さて、では仮に社会シミュレーションがhistoricismの正当化に使われれば、どうなるだろうか?

 まず間違いなく、歴史法則主義者は社会シミュレーションをかなり長いタイムスパン(数世紀など)の予測に使うであろう。なぜなら、社会シミュレーションで「歴史の必然」のようなものを示し得れば、それは彼らのイデオロギーを正当化する一助にはなりうるからだ。

 無論、そんなことは技術的に極めて困難だが(予言の自己成就・予言の自己破滅等の現象をあげつらうまでもない)、しかし要は箔をつけられれば良いのであって、彼らは躊躇なく結果をでっち上げるであろう。そして、それは科学として社会シミュレーションを推進したいものにとっては、災厄でしかない。Historicismは社会シミュレーションにとってのみならず、社会全体に対して危険な思想と成りうる可能性を胚胎している。

 

 さらに、もう一つ社会シミュレーション研究者にとって忌避すべきと思われる思がある。これといった名前はないが、仮にアイザック・アシモフの『ファウンデーション』シリーズに出てくる偉大な先達(?)であるハリ・セルダンの名前を借りて「セルダン主義」とでもここでは呼称しよう。

 それは、「社会シミュレーションに関する知識を一部の専門家が独占し、政策立案者へのみその知識にもとづいた知見を提供する」という態度である。

 セルダン主義は先のhistoricismにも関連する危険性を秘めている。

 なぜか、それは謂わば人間を二種類に分断する方向性を強く孕んでいるからに他ならない。

 社会シミュレーションそれ自体が、数理生態学や物理学などのアナロジーを基礎としていることからも分かりやすいが、本来がある意味では「人間を人間として見ない」ことで、あるいは少なくとも「人間を自然界において特別視しない」ことで成立する側面がある。人間の文化進化を生物遺伝子の進化のアナロジーとして見たり、あるいは経済物理のように人間を原子として見てはじめて社会シミュレーションそれ自体は成立するようなところがある。

 そして恐るべきは正にその性質上、支配者が被支配者を畜群のように管理する道具としても、一定程度まで社会シミュレーションを使うことが可能であろう。

 なぜ、社会シミュレーションによる『予測』に困難がつきまとうかといえば、それは一重に社会シミュレーションによる予測それ自体が社会を改変するポテンシャルを秘めるがゆえである。逆に言えば、社会シミュレーションの結果を万人が知らなければ予測も可能になる可能性がある。

 この時、果たして独裁者は、社会シミュレーション研究者を強制的に、あるいは研究費などで釣って、彼らをして牧人足らしめる誘惑に打ち勝てるだろうか?

 ネタバレになるが、ファウンデーション・シリーズで、ハリ・セルダンは二つの組織を用意した。片方は銀河帝国崩壊後の銀河社会を復興させるための「第一ファウンデーション」、他方は『心理歴史学』で歴史を影から操る「第二ファウンデーション」である。

 

 さて、ここまでの考察(考察とまで呼べるのか、かなり疑問ではあるが)一応の結論として、社会シミュレーション研究者はhistoricismとセルダン主義の双方は少なくとも避けるべきであることが判明した。

 ではどうすればそれらを避けうるだろうか?

 一つには、社会シミュレーション研究者自身が可能な限り「中立」を保つというものがあるが、これでは先に述べたように社会シミュレーションというディシプリンの有用性を示せないし、そもそも「中立な人間」など社会の中にはいない。

 では何が必要だろう?

 まず、historicismに関しては、そのような思想が十分に反証可能性を有するか、について社会シミュレーション研究者が吟味することである。まず間違いなく反証可能性を有さない、なぜなら歴史法則主義者は単にマルクス主義におけるルイセンコ学説のような、イデオロギーに対する箔付けとしてしか社会シミュレーションを見做さないだろうし、そうするとそもそも「科学的であるか否か」は彼らの関心の範疇外であるから。

 そしてセルダン主義については、より具体的な対策を提示したい。つまり、言うは易しだが、「誰しもに理解可能な単純なモデルの構築」を可能な限り指向すべきである。そのモデルの構造を大半の人が諒解でき、かつその前提や結論を多くの人が検証できるならば、独裁者もしくは独裁者足らんと欲する者がそれを悪用することも難しくなると考えられるためである。その意味で、極端に複雑だったりやたらと高度な数学のモデルも、いくら説明力が高くともそういった面では良くない、とも言える。

 

 長文になったが、今後、社会シミュレーションが発展することを多くの研究者が望むならば、社会シミュレーションと社会それ自体との関わりをより深く考究することは必須であろう。

 この論自体は特に意味あるものではないが、これを契機としてそういった問題意識を持つ人がいらっしゃれば望外の喜びである。

 

ルール・価値判断基準、強者弱者、そして逸脱と可能性

 先日、信頼できる友人二人とかなり長時間にわたって話ができる機会を得た。

 そこで、「弱さ論」に関して相応の進捗があったため、ここに記しておく。

 まとめると、以下のようになる。

  • まず、「弱い」ということは何者かと比較して相対的に「弱い」、ということ、つまり強者と弱者は必ず対である(当然ではあるが)
  • 更に、強弱を定義するにはもちろん何らかの『ルール』、価値判断基準が必要である。単なる多様性を数値化して、更に数値化したものの大小に価値を付与しなくては、強弱は発生しない。
  • 先日から私が考えていた「弱さの意味」とは、この価値判断基準・ルールに関与する。つまり、「価値判断基準は一つしか世界に存在するわけではなく、極めて多様であること」「ルールも、少なくとも可能性としては多様でありうる」ことに気付く契機、それが「弱さの意味」であるという暫定的結論を得た。

 

 第一点目は、たぶん自明であると思われるので多言はしない。

 ただ付け加えるならば、「絶対的弱者」と呼べるような存在が仮にあるとして、もし絶対的弱者しか世界に存在しないなら、彼/彼女は「弱者」であろうか? 強弱とはやはり関係性の問題であろう。

 第二点目。これも、常識的には当然な思考である。世界内の存在は多様であり、しかしそれだけでは強弱は存在しない。勝敗が強弱に関係するとすれば、勝敗がゲームの結果であり、ルールなくてはゲームが存在しない以上、強弱にはルールが必要条件としてある。

 第三点目についてだが、これは議論が分かれるかもしれない。弱くても、謂わば「自らの弱さに『トラップ』されてしまう」ケースは枚挙に暇がない。それは具体的には、自らの弱さないし『弱者性』を盾に、外部との接続を遮断し、変化を拒絶し、自己を世界と時間の外部に置く、置きたがる人間である。こうなると、彼/彼女にとっても周囲にとっても悲劇が待っている。

 しかし、幼年期に悲惨な経験を得た人が、後に偉大な芸術家になるように。

 あるいは、人生のうち数年にわたり獄舎につながれた活動家が、最後に革命を起こすように。

 そして、病と闘い、病と共に生きることを余儀なくされた人間が、自己と世界に関して深い洞察を得られるように。

 弱さは契機になる。この契機とは、彼/彼女が敗北を強いられ、弱者であることを強いられた世界が狭いものであり、真の世界はもっとずっと広いことに気付くためのものである。仮に、彼らを「逸脱者(アウトサイダー)」とでも呼ぼう。

 人間は、永遠に弱者として生きられるほど「強くない」、少なくとも弱者である自己を直視できない者がほとんどである。

 そこで、人間が取れる態度は二つある。

 一つは、強弱が関係であることに起因する以上、関係を断ってしまうこと。これが、先に述べた「自らの弱さにトラップされた者」である。

 もう一つは、弱さを契機として自らを弱者足らしめる価値判断基準・ルールの外部に逃れることである。「アウトサイダー」はここから生じ、私は、こちらにこそ可能性を感じる。

「世界は多様にして豊穣である」

「価値判断基準も、ルールも一つではないし、また一つである必要もどこにもない」

 

 以上が、今回友人らとの議論で得られた暫定的結論になる。彼らに感謝を。

 今後の課題として、(私見では)トラップされている人の方が、アウトサイダーより多いように思える理由を考え、もし実際にそうならどうにかアウトサイダーの割合を多くする方策はないか、を考えたい。

罪と罰と記憶

 罪は記憶される。被害者は、生きている限り加害者の罪を忘れないだろうし、忘れることができない(この事実は、教室内のいじめやDVから国際的な歴史認識問題に至るあらゆるレベルで散見される)

 我々の世界を、もつれあった被害-加害の関係の連鎖が、World Wide Web よりも濃密に包んでいる。

 だが、仮に罪を忘却することでしか相手を許すことができないなら、それは悲劇であろうが、しかしこの二つは分けて考えることが(原理的には)できる。許すということは、被害者が加害者のなした悪事を忘却することと、等価ではない。

 悪意は、被害者と加害者の関係を決定的に不可逆に変えてしまうかもしれないし、また往々にしてそうだが、最悪の状態からまた「以前とは違った形での」友好な関係を築ける可能性はある。

 ただしそれは、被害者の加害者に対する権力という形態をとってはならない。それは、逆転した被害加害関係を産生するから。

「あなたの罪を忘れない。だが、私はこれ以上あなたを罰することをやめる」

 この、(論理的には)矛盾しているはずの言明を可能にするレトリックが、『許す』ことではないか。そんな気がする。

 

 

 私は許されたいし、許したい。

無題

 

 

 この二つのツイートから、何を書こうとしたんだっけ。思い出せない。とりあえず、思い出せないので、ここに書いておく。

『癒える』なること

 以前、こんな記事を書いた。

 

治癒の記 - 世界模型

 

 それから少し経ち、改めて癒やしとは何かについて考えてみたい。本当に自分は『治った』かを問う、少し危うげな作業だ。

 なぜこのトピックを考え始めたかといえば、中井久夫先生の『世に棲む患者』をパラパラとめくった時に、こんな文章に行き当たった。

あれほど大きな体験を経たからには、人柄が全然かわらない方が不思議である

 

世に棲む患者 中井久夫コレクション 1巻 (全4巻) (ちくま学芸文庫)

世に棲む患者 中井久夫コレクション 1巻 (全4巻) (ちくま学芸文庫)

 

 

 この言葉自体は、スキゾフレニアという病名を名づけたオイゲン・ブロイラーの息子で自身も精神科医であったマンフレート・ブロイラーのものであるらしい。 

 それと、私の友人でやはり困難な状況にある人がいて、彼の言葉が脳裏に引っかかっていたためでもある。

 それは、彼が『元に戻る』ということはない、という旨の発言だった。

 

 つまり、癒える、病から快復するということは、病前に戻るということではない――ポジティブな意味でもネガティブなそれでも。

 前掲書で、中井はこうも言う(要約)

病を得たのは病前に何らかの原因があったからであり、また元に戻っては再発を促進するようなものだ。

  その通りであると思う。そういう訳で、病からの快復ということは、たぶん『元に戻る』ことではない。もっと強い主張をすれば、『癒やし』全般がそうであろう。

 

 

 では、何が快復なのだろう。何が癒やしであろう。

 トートロジカルになるが、やはり「自分で治った」と『自然に』思える時、それは快復であり、治癒ではないだろうか。

 そういう意味で、私は『治った』

 そういう意味で、「病気を治すのは『自分』」なのである。

 しかし、問題である部分は『自然に』という箇所であり、病者は自然に自己の健康を認識できないがゆえに悩み苦しんでいるはずである。

 そこに、周囲ができることがある。

 誰かが懊悩する時、たとえば「お前の自己責任である」などと言うことは論外である。しかし、同時に「そう、君は悪くない。Xが(Xには、苦悩する人の親や、生い立ち、いじめてくる人間、そういうものが入ることが多いようだ)全て悪い」といっても、さほど抜本的な解決にはならない(それでも自己責任呼ばわりするよりは害が少ないと思うが)

 この場合、たいていは「誰かを責めても解決にはならない」、ではどうすればいいのか。

 最善は、やはり「待つ」ことであると思う。ただし、いつ当人が快復しても良いように、彼/彼女の前途にある障害物をそっと取り除く。

 これは、周囲にとっては多大な負担を強いる方法かもしれない。

 しかし、やはりこれが最善ではないだろうか。

 病者に対して「『治る』ことを強いること」はほとんど耐え難いまでの苦痛である。そして、それは往々にして逆効果を生む。

 待つことは、最善であり、そして唯一の途であろう。

 

 だが、現実問題として待ってばかりいられない、と言ってしまう周囲の人も多い。だが、それは社会の問題であって、病者や「周囲」の問題ではない。

「待てる社会」は、やはり待望されるところであろう。

「自分は自分を偉大にしたいから学問をやっているのだろうか」と自問する、院生の『私』

 表題のような自問を、最近よく思う。

 いや、以前からぼんやりとは思っていたが、直面する勇気はなかった。

 たぶん、単に「他人より上の立場でありたい」ならば、普通の就職をして、出世競争に身を投じれば良いだけだ。もちろん、報われるかは分からない。しかし、私の能力であれば、たぶん戦略を間違えなければ上手くいくだろう(留保付きの傲慢という矛盾)

 しかし、私はなぜだかそれが嫌だった。やはり、学問は好きだった。

 だが、学問というものは本来、自己の承認欲求を満足させるツールでは断じてないはずである。自分のために学問して、偉大な業績を残した人もいるにはいる。しかし、それは学問というより、彼/彼女の自意識を肥大させた結果偶然にも世の中の役に立った、というだけであろう。学問は知の蓄積であり、先哲の功績の上に乗って我々は前より上手くやれるようになるという前提がある以上、私も学問の――ひいては何か価値あるもののために、学問をするべきなのだ。

 だが、価値あるものとは何だ。

 現代に、あるいは歴史上、価値ある何かなど存在したのだろうか。

 ない、と言い切れるニヒリストを、私はむしろ羨望する。彼らは『無価値』という残酷な結論を直視するだけの勇気を持っているからだ。私にそれはない。

 では、私は何のために学問をしたいのだろうか。そもそも、学問をしたいのだろうか?

 振り返ってみれば、私はたぶん最初の頃(学部1〜2年の時分)には、本当に「己を偉大にするため(より正確には己を偉大だと周囲に誤認させるため)の学問」しか考えていなかった気がする。

 その段階の頃は、本当に日々が苦しかったと思う。自己の無能力や、病に対して苛立ったことは一度や二度ではなかった。

 しかしながら、徐々にそれは違うことに対する気付きを得ていった。

 それは、主に一人の友人との出会いに起因する。

 他の人たちが(特に東大生に多い傾向なのだが)コストパフォマンスを重視して、最小限の努力で成果(それは往々にして自己満足的なものも多かった)を得ようとする中で、彼は孤独に考えていた。そして、考え続けていた。

 彼は私に「学問とは、己のため(己のためだけ)に行うものではない」ことを諭してくれた。それは、本当に大きな認識として今の私の中にある。

 

 

 さて、では私は何のために学問をするのだろう。既に、修士課程学生という身である。後戻りすることは、あまり考えていない。

 では、なぜ学問をするのか。

 あるいは、誰のために?

 まだ、答えを発見できていない。

 ただ一つ言えるのは、自身のためだけ、ではないこと。それははっきりしている。

 あるいは、究極的には私は私のために学問をするのかもしれないが、少なくともその過程で私ではない誰かを、幸福にするものでなくてはならないはずだ。

 では、誰かの幸福とは何だろうか。

 纏まらない文章になった。しかし、考えなくてはならないし、直視もすべきことだ。