E. トッド「世界の多様性」をC. ヘンペルのDNモデルに照らし合わせる
エマニュエル・トッドという人名を、聞いたことがある方も多いと思われる。
人口学的な分析から現代世界の抱える様々な側面を斬新に分析したことで知られる、有名な人類学者(ただし、本人は人類学者と呼ばれることを嫌っているが)である。
彼の分析はある種快刀乱麻を断つ趣があり、「ああ、たしかにこういう側面から考えたことはなかったが、しかしたしかにこういった説明も可能だ」と思わせるものである。
一例を挙げよう。
上に紹介した『世界の多様性』所収の「第三惑星」では、「親族構造の違いは最終的にはイデオロギーの違いとなって表出し、政治的経済的な多様性をもたらすものである、という主張が、実証的なデータに基いてなされる。
まず、トッドは世界各地の諸民族を親族構造に基づき分類する(これは恣意性を伴ったそれにも思えるが)
それらの一覧は以下の通り:
これに各国のイデオロギー(自由主義、民主主義、共産主義など)を照らし合わせ、その間に相関関係を見つけるという手法である。
非常に大雑把ながら、だいたいこういうことをしているのがトッドという卓越した分析家の仕事である。
さて、トッドの手法は以上のようなものだが、しかしこれは本当に正しいのだろうか。これで、歴史のダイナミクスは言い尽くされたことになるのだろうか。
これを、Carl Gustav Hempel という科学哲学者が考案した科学的説明の論理、DNモデルに照会して考えてみたい。
なぜ、ヘンペルかといえば、まずトッド自身の説明手法は充分科学的であり、それに見合った基準が必要だからである。
DNモデル自体は批判もあるが、非常に明瞭なこともあり、これを採用した。
では、まずDNモデルはいかなるものか。これはかなり明解な定義がある。
「ある事象に科学的説明を与えるとは、各々有限個の一般的な法則と個別の初期条件からその事象を演繹することである」
要は、りんごが樹から落下するのは万有引力の法則という一般法則とりんごと地球の質量などの個別初期条件から導ける帰結であり、これがなせる時に科学的説明が与えられた、という。
このことを頭に入れてトッドの説明を見ると、まず一般法則にあたる部分は「ある集団の親族構造がそれに付随する他の社会的特徴を決定する」というものである。そして、個々の親族構造を礎として個々のイデオロギーなどが発生する理由を説明しているものと思われる。
では、である。その一般法則たる「親族構造が社会的政治的特徴を決定する」という仮定は、いかにして導出されたのか。
これは必ずしも自明ではない。なぜなら、ミクロ=マクロ間にはほぼ必ずフィードバック構造がある。
つまり、イデオロギーがここの親族構造に影響を与えている可能性は排除不可能である。
そして、お気づきの向きも多かろうが、これは正にマルクス主義的な唯物史観の焼き直しなのだ。
トッド自身はマルクス主義の経済を下部構造とする唯物史観を嫌悪しているようだが、つまるところ発想としてはこれも「社会の要素のうち一つだけが原因であり、その他はその結果に過ぎない」という思想なる意味では同じなのである。