惑星からの逃走線

読書記録や研究上で思いついたこと、日々の雑感など。

頭の中の真珠

 自分自身がものすごく辛かった時期のことを懐かしさをもって回想していることに気づいた。

 アコヤ貝は自身に侵入した異物から身を守るために異物を真珠に変えてしまうが,人間の精神も不快な記憶を『想い出』という形に変えてしまうのかもしれない,そういう比喩を考えた。

 しかし,大して適切でもない。人間の想い出って,現状に合わせて変わりうる。真珠は成長するが,コアの部分は変わらない。人間よりアコヤ貝の方が誠実なのだ。

 

 ふと思ったが,むしろ我々の『アイデンティティ』というものを,この世界という不条理の只中へ投げ出されたという事実,なる『異物』に対する防御反応として理解した方が,アコヤ貝と真珠の比喩が適切になるかもしれない。

 人は,生まれたときから不条理の中にいる。訳もわからず生まれ,そして同様にして死ぬ。そこで我々はアイデンティティというものを発明した。意味不明な世界,その中で自己の一貫性を保つために。すると,記憶≒想い出は真珠それ自体というよりは真珠を結晶させるための外套膜か。

 

 あのヌラヌラとした,お世辞にも美しくはない軟体動物の臓器から,斯様な幾何学的光学的美が発生する機構,そこに生命の神秘を観る方が一般的だろう。そういえば,ブッラクジャックにも『ときには真珠のように』なる重要エピソードがあった。

 しかし,私はなんとなく人間の精神,その内奥にも真珠が隠れているのではないか,我々の脳髄がもしかしてアコヤ貝の軟体ではないか,そんな気持ちを捨てきれずにいる。願わくば,己の真珠の光沢を,死ぬまでに見つけたいものだ。