アトミックな社会シミュレーションのオルタナティブはあるか
「アトミックな社会シミュレーション」なる用語は、完全に私の造語なので、注意されたし。まあどこかには既にあるかもしれないが、おそらく私の意図するところとは少々違う意味だろう。
「アトミック」という形容詞で示したかったのは、ABMの Agent にせよ、統計的な手法を用いた社会シミュレーションにせよ、何らかの主体を仮定し、それらの間に生じる相互作用を考えているという点である。
謂わば、原子論のように確固たる社会の構成要素が、それも「分割不可な」構成要素があることを前提にしている訳である。
この前提はかなりゲーム理論等で広く共有されている。
一方で、歴史学では「人間」という一見して主体と思えるものも、やはり歴史的に構成されたある種の過程であるという考え方がある。
- 作者: ミシェル・フーコー,Michel Foucault,渡辺一民,佐々木明
- 出版社/メーカー: 新潮社
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ここで、仮に人間というものがある種の過程(Process)であり、決して原子論的な社会の構成要素ではないとすれば、社会シミュレーションでそれを実装するのは可能だろうか、というかなり自然と思われる発想が生じる。
これが可能ならば、社会シミュレーションの方法論にそれなりのインパクトを与えうる。また、ポストモダン的な思想に数理的な手法を使いアプローチするという点でかなりの新規性もあると思われる。