惑星からの逃走線

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地球外知的生命体と人類は邂逅できるのか?――「宇宙人類学の挑戦」

 仮に地球外知的生命体がいたとして、我々は(そして彼らも)相手を「知性を持った存在として」認識できるだろうか。

 この問題について、先日読んだ「宇宙人類学の挑戦」に結構詳しく書いてあった。

 

宇宙人類学の挑戦―人類の未来を問う

宇宙人類学の挑戦―人類の未来を問う

 

 

 よくSFでは宇宙人との交信に数学を使う、という手段が使われている。

 数学は人類の持つ知の中でも特に抽象的なものの一つだから、普遍性を持つだろう、ということである。

 このような考え方は「数学的イデアリズム」と呼ばれる。

 一方で、数学的イデアリズムは必ずしも成り立つわけではない、という主張もある。数学も所詮は文化の産物であり、文化に普遍性はないからだ。

 この議論は結局のところ実際に地球外知的生命体が見つかるまで続くだろうが、ここで「宇宙人類学の挑戦」ではこんな意見も見られた。

「生命というものには自己複製するという特徴がある。この特徴を持つ限り、ある生命の個体の周囲には必ず『自分と似たもの』が時とともにどんどん殖える。そして、もし仮に集団行動を取ることが進化的に有利なら、彼らはコミュニケーション手段を発達させるはずで、そうするとかなりの地球外知的生命体は何らかの形でコミュニケート可能ではないだろうか」

 記憶に頼っている部分もあり、完全な引用ではないが、おおよそこのような主旨であった。

 そして、集団行動を取った方が優位というのは様々な進化ゲームで示されつつある事実であり、私としてはこの意見に賛成したい。

 

蛇足:この記事では「知性」という言葉を定義もしないままかなり曖昧に使ってしまったが、あるいは「社会性」「コミュニケーション能力」「環境改変能力」など、多数の異なる能力の集合体として捉えるべきかもしれない。