惑星からの逃走線

読書記録や研究上で思いついたこと、日々の雑感など。

K. ポパー「歴史主義の貧困」は一文で要約できる。

 要約しよう。カール・ポパーが「歴史主義の貧困」で主張したことは一つ、

「人類の歴史の進展は、人間が獲得した知識に大きく左右され、そして『明日知るはずのことを今日知ることはできない』ので、社会については未来の予測が原理的にできない」

 というものだった。これは妥当な主張だろうか。

 まず、一つ言えるのはかなり長期的かつマクロな視点で見れば「知識の伝達が行われない社会であれば、この主張は成り立たない」ということである。

 もちろん、全く知識の伝達が行われない社会などというものはないが、社会によって知識の伝達が効率的に行われる社会とそうでない社会は存在する。

 どんな社会が知識の効率的伝達を行えない/行わないかは自明ではないが、たとえば知識が効率的に伝えられる社会であれば、よりそうでない社会の予測を、全く行うことができないということはないと思われる。

 究極的には、その差は政治的軍事的な差となって現出する可能性も高い。要は相手の出方を限定的にとはいえ予測できるということだからである。

 もちろん、これは地球全体を単一の社会として見た場合の予測では成り立たない。

 

 まず間違いなくポパー共産主義ファシズムなど、全人類についてのヒストリシズムについて述べているので、私のこの反論はある意味では的外れであることを、認めざるをえないだろう。

 では、地球社会全体の行く末を占う方法はないのだろうか?

 これは中々難しい。ポパーの主張は、前提が正しければ論理的には完全に正しく、前提も相当に妥当だからである。

 この場合のポパーの前提は以下のように言えるだろう。

  • 人類は、新たな知識を得た場合、それが意味のある知識ならばその行動を変化させる
  • 人類は今後も次々と新知識を獲得していく

 どちらも、かなりの妥当性を持っている。通常、知識が集まれば更に新たな知識が発見されやすくなる。

 また、有益な情報は広まりやすいので、大きく人類はその行動様式を新知識の発見の度に変化させる。

 このように、ポパーの議論はかなりの説得性を持つ、かなり普遍的なものである。

 社会シミュレーションという観点からみるとこれは相当に厄介な問題であり、悩ましくもあるのだが、社会シミュレーションとの関連についてはまた日を改めて論じたい。