惑星からの逃走線

読書記録や研究上で思いついたこと、日々の雑感など。

 

ハンセン病―排除・差別・隔離の歴史

ハンセン病―排除・差別・隔離の歴史

 

 

 私は電車の中で,図書館から借りたハンセン病の隔離の歴史についての本を読んでいた。

 駅で電車が停まって,たぶん知的障害を持っているであろう人と,その親御さんと思しき人が乗ってきた。子どもの方は,あどけない赤子のように,世界の驚異(かつては我々もそれを見たはずである)を,逐一,親に報告していた。

(ちょっとうるさいな)

 と,私はある意味無垢にも思った。すぐに,嫌な気分になった。結局,私も差別者の仲間で,もう少し正確に言えば差別者たる己を自身の裡に飼養しているのだ,と。

 

 さて,私が読んでいた本には,ある人物が紹介されていた。医学者,光田健輔。日本のハンセン病隔離政策を,事実上作り上げた人物である。

 そういう意味では,全くの『戦犯』として彼を糾弾することも,また可能である。しかし,彼が隔離政策を推進した背景が,それなりに詳しく書いてあった。

 

 往時,ハンセン病患者の多くは故郷を追われ,『流竄』に身をやつし,野垂れ死んでいった。少なくとも千年以上前から,日本ではそうであった。

 この状況を看過しえなかったのが,光田健輔である。彼は患者に曲りなりにも居場所を与え,極めて閉鎖的とはいえ患者による社会を形成せしめた。

 しかし同時に,彼はハンセン病患者の隔離政策を徹底して推進した。ハンセン病の伝染力が極めて低いことが判明しても,また特効薬プロミンが開発されても,その傾向に変わりはなかった。ハンセン病患者の断種手術を推奨したのも,また彼であった。

 

 

 あまり,想像力に頼ってものを言うべきではない。しかし,私は彼の,いささか屈折した,ヒューマニズムと差別意識の複層的に組み合わされた精神の紹介を読んで,彼は結局のところ社会を彼の専門である人体のアナロジーで捉えすぎたのでは,そう思った。

 日本という『人体』を,『健康』にするためにハンセン病患者という『病原体』を除去する必要がある,と。事実,彼は国家や権力といったものに固執してしまったとの指摘も,同書にみることができる。

 

 

 私は,おこがましくも社会科学の徒を自称している。社会科学は,結局のところ(それがいかなる形であれ)「社会の」役に立って意味があるとも思っている。しかし,社会とはなんだろうか。一個の人体のような,そういうアナロジーは粗雑にすぎる。結局,役に立つとかいうのは人間の役に立つ,ということであろう。さっきの知的障害者は,車窓の景色を報告している。それを私の裡の差別者が,うるせえな,と舌打ちしている。列車は進む。私は進んでいるのか,進むことがそもそも良いことなのか。それさえ,わからない。たしかなのは,苦しんでいる人たちが,それぞれの生を抱いていることだけだ。