バナバ人という民
こういう論文を偶然見つけた。
バナバ,という島が,現キリバス共和国にある。そこは良質の燐鉱石を産出したことから,悲劇が始まった。以下は,主に当該の論文を参考にした,私なりの解釈も含んだバナバとその民の歴史だ。
もともとこの島に住んでいた人々,今ではバナバ人と自称している人々の,本来の暮らし向きがどうであったかは,今となっては確かなことはわからない。ただ,少なくとも昔からその島は彼らの土地であったし,今もそうであると彼らは主張している。これは事実だ。
さて,1900年に島に白人(ニュージーランド人の技師)がやってきた。彼は,近隣のナウルで大量の燐鉱石が産出することをしっており,またナウルと地質的にバナバが似ていることに気づいて,一山あてようとやってきたのだ。そして,燐鉱石を発見するや否や島のチーフ(の一人)を騙し,燐鉱石が何であるか,これからニュージーランド人が何をしようとしているか,文字も読めないそのチーフに対し契約書にバツ印を書くようせまり,まんまと成功する。
そして,燐鉱石の採掘が始まって,徐々に島は荒れ果てた姿に変わっていった。
たくさんの外部からの労働者も導入され,バナバ人らは少数派になった。
最終的にイギリス人は(言うまでもなくイギリスはニュージーランドの宗主国だ)土地の強制収用を行い,バナバ人を追い出してしまった。
やがて,第二次世界大戦が始まった。日本軍がやってきて,バナバ島も占領された。ヨーロッパ人は先に逃げ,残されたバナバ人や労働者は,日本軍に些細な理由で殺害された。そして1943年,日本軍は住民をバナバ島外に追い出した。
やがて戦争が終わり,人々は故郷に戻ることを望んだ。しかし,イギリスはまたしても卑劣を発揮した。「日本軍の爆撃で島は荒れ果ててしまった。もう戻ることはできない」
嘘である。単に,燐鉱石の採掘を円滑に行うための詐欺以外ではなかった。そして嘘に騙された人々は,はるか2400kmも離れたフィジーのランビ島への移住を余儀なくされた。移住先では,異なる環境のために死者も出たという。
さらに,やがてキリバス共和国が独立しても,キリバス政府はバナバ人をひとつのエスニック・アイデンティティとは認めなかった。
以上が,全てではないにせよバナバの民の苦難の概略的なものである。イギリス人による詐取,日本軍の暴戻,そしてキリバス政府の黙殺,もうひとつ加えるなら,同じく燐鉱石で一時期は繁栄を極めた(今は荒れ果てているが)ナウルへの羨望,それらの陰で,こういった人々がいたことを,牢記している義務を,個人的には感じた。