読書戦略
一生のうちに全ての知識を手に入れることはできないのを理解しよう。 pic.twitter.com/5PZXER4CGM
— 研究しろbot (@kenkyu_shiro) 2015, 9月 9
上記の例は, 流石に比較対象が極端ではあるが, その分極端化で事態の本質を点いている。
これを見ればわかるように, 読書には戦略性が求められる。
特定の分野を掘り下げる専門家ならば重複するような図書は除くことができるし, またそもそも十進分類法のすべてに通暁する必要がないので, すべての知識を取り入れる必要はない。しかし, ジェネラリストを志向する人間(ジェネラリストである人間の必要性はこのBlog記事を参照のこと:http://seigaikijin495.blogspot.jp/2015/09/blog-post_11.html)には,「広範なディシプリンに亘り」「基礎的でもある程度詳細な」知識が求められる。自然, 読書という最も重要なインプット行為には戦略が必要とされる。
読書一般の技法に関してはこのBlog 読書猿Classic: between / beyond readers の右に出るものがないが, 本記事でも私なりの方法を述べたいと思う。
まず, 目標を確認しよう。
しかし,「知識を得る」とはどういうことであろか。
ひとつには,その分野における『文法』『語彙』を籠中のものとし,それらの概念や記号を自在に操れるということとも定義できる。実際にそこまでの水準に到達するのは難しいが,あるいは「その道の専門家が言うことを理解できる」という程度でも良い。なぜなら,今のような複雑化した社会においては,「解答を知っているか」という第一水準の知識もさることながら,「誰に聞けば解答を得られるか」という一階のメタ知識の重要性が増しているからである。そのため,「専門家の言っていることが,一般的な論理に照らして正しいか」ということが理解できる程度でも,実用には耐えうる。
上記の水準に達しているか否かのメルクマールとして使用しうるのは,たとえば「一般的な形式論理を知っているか否か」「クリティカルシンキングができるか否か」「原典に立ち戻って検証できるか否か」といったような思考法であろう。加えて,個別ディシプリンの知識体系に関する理解度に関しては,以下の等式が成立するものと考える:
理解度=読書量×個別の図書の理解度
ごく当たり前だが,この等式には意味がある。すなわち,よく頑張って矢鱈に難しい本を読んでしまったりして,結局時間と労力を無為に帰してしまうことがある。本来,かなりの出版文化を持つ日本語圏で日本語を母語として持っていることはアドバンテージであり,具体的には各ディシプリンの『入門書』を母語で読めるという点だ。必ずしも原典を最初から読む必要はなく,最初に入門書を読んでだいたいの知識体系を付ける。後に,(専門家を目指す者は)個々の分野の蘊奥を極めれば良い。
ただし,この方法の実行には弱点がある。本がどういった本であるかは,実際に読まねばわからない,という点だ。これをカバーするには,
などを参照する必要がある。
纏めてみよう。
ジェネラリストには,
- 形式論理,クリティカルシンキングなどの,一般性を持つ論理を最初に学び,
- レビューを参照して身に付けたい分野の入門書等を読み(この際にはコンパクトな新書等も望ましい)
- 各々のディシプリンのある程度コアな部分を抑えたのち,
- 興味のあるディシプリンの『間』にある部分も把握する。
これで,専門家の意見を鵜呑みにすることなく傾聴し,かつ理解できる程度の知識体系は手に入ると思われる。この際に,語学などは文化圏の偏りを是正しうるため便利であるし,また数学も当然知っておいたほうが良いだろう。