惑星からの逃走線

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Agent-based Social Simulation が持つ「超越者の視点」?

 最近、朧に思うこととして「ABSSが持つ『超越者の視点』」と仮に呼んでいるものがある。

Agent-based social simulation - Wikipedia, the free encyclopedia

 要は、社会シミュレーションというものは当然というか社会の全てを再現することは不可能だしあまり意味もないことなので、社会現象を「上手く切り取って」それを再現することで予測や理解を行う、という意図を持っている。

 ところで、特にABS(Agent-based Simulation)を考えてみると、コンピュータ内の小さな『社会』(の一部)を見ているコンピュータ外のシミュレートを実施した研究者とは、一体『誰』なのだろうか?

 直観的には、やはりその視線は我々にとっての(それが実在するしないは一旦措くとして)『神』のものではないだろうか。ABS特にABSSは、研究者までその系として考えると必然的に『神』という存在を措定する。

 しかもこの『神』= 社会シミュレーション研究者は、彼が実際に住む実在世界ではそのような視点を持ち得ないのである。

 さて、この『超越者の視点』から、我々は(上手く現象を切り取れたとしても)社会現象特に非線形複雑系として考えうるそれを十全に理解したり、或いは予測したりすることができるのだろうか。

 それに答えられるような能力は、今現在の私にはない。

 一方で、ひとつ指摘したいこととしては、これも結局はセム的一神教的思想の系譜の延長線上に考えられないか、という点である。

 本来、ABSなどを含め複雑系科学は既存の還元主義的科学パラダイムへのアンチテーゼとして提起されたという経緯がある(ABS複雑系科学と呼ぶかは議論の余地がある)

 そして、元来の還元主義的な科学はデカルト以来の合理的思考の伝統を脈々と継受している。それは、かなりの程度がニュートン的な「神が自然にエンコードした秘密を解読したい」という欲求にもとづいてはいた。

 そう考えると、複雑系科学は「ほぼデコードし終えたので、今度は自分たちでそれを実装してみよう」という発想が根底にあるのかもしれない。

 この辺りを深堀りすれば延々と科学史・科学哲学の深淵に進みそうなので、今日はこの程度で引き返そう。