惑星からの逃走線

読書記録や研究上で思いついたこと、日々の雑感など。

『弱いこと』の定義について

 先日から『弱いことの意味』について、断続的に考えている。

 では、『弱い』とは具体的にどういった状態を指す語なのか。

 『弱い』という、かなり基礎的な語彙を、より説明的な表現に分解することは可能か?

 

 『弱い』という言葉は様々な場面で使われる。

 「意志の弱さ」「身体的虚弱」「社会的弱者」etc.,

 さて、共通するニュアンスを抽出可能だろうか?

 まず、「不可能性」とまではいかないが、「可能性の欠如」は考えられる。ただし、ここで言う「可能性」とは、Probability というより Ability の意であると思っていただきたい。

 意志の弱さは、物事を完遂させるだけの精神的可能性の欠如であろう。

 また、身体的虚弱は物理的な力の欠如を以て定義していると考えると自然である。

 社会的弱者は、権力即ち他者に自身の意図を強要するだけの可能性を欠如している。

 

 ここまでくれば、もう一つ共有された意味が見て取れる。つまり、『弱さ』それ自体は「意志」より強い言い方をすれば「自由意思/意志」を前提とした概念である。

 これは考えれば自明なことで、例えば土塊に強い/弱いという尺度はあるまい。

 まとめると、「自らの意図するところ≒目的を完遂できる確率の(相対的な)低さ」と捉えることが可能である。

 では、その『意味』ないし意義とは何か?

 今後は、この定義を仮に受け入れて、それを考えたい。

 無論、これに対する反例は大歓迎であるから、FacebookTwitter・あるいはコメント欄に是非書いていただきたく思う。