小林道憲「歴史哲学への招待」と『自発的対称性の破れ』
小林道憲著、「歴史哲学への招待:生命パラダイムから考える」を読んでいると、以下のような記述があった。
歴史哲学への招待―生命パラダイムから考える (MINERVA歴史・文化ライブラリー)
- 作者: 小林道憲
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2013/04
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
二者択一する行為が歴史を限定し、歴史の変動を起こします。行為するということは選択するということであり、対称性を破ることです。(中略)
対称性の破れは、新しい構造や形態を形成する上で決定的な役割を果たしています。対称性の破れによって一定方向への自己組織化が起き、もはや歴史的に逆戻りのできないところまで進んでいきます。
はて、この「対称性の破れ」って言っているのは用語法的に正しいのか?
とはいえ全く物理学には門外漢なので、本を読んで付け焼き刃の知識で考えてみることにした。
対称性の破れの方の種本はこれである。
まず、どうもここで言っているのは「自発的対称性の破れ」のことのようである。
つまり、ある磁性体内で一定温度以下になった時に分子がきちっと整列することで回転対称性が失われるように、歴史上のある時点で行為者が何らかの選択を行う、するとそれまでポテンシャルであった可能性が現前して対称性が失われた(ように見える)ということらしい。
しかし、実はこれは対称性が破れていない、ということらしい。なぜなら、現前したその分子の配置は他の配置と等確率であり、またエネルギー準位的にも他の配置と等しい。
となると、どうも「歴史哲学への招待」で「(自発的)対称性の破れ」と呼んでいるのは、誤用っぽい。だって、歴史上の別の可能性は明らかに等確率でもないし、またエネルギーのような量を仮に定義できたとしても多分保存されていないんじゃないかな……
もちろん、全く専門外のことをあーだこーだ言っているので、かなり間違っている部分もあるし、もしかしたら小林道憲の用法は正しいのかもしれないが、どうも胡散臭げだなあ……。