惑星からの逃走線

読書記録や研究上で思いついたこと、日々の雑感など。

特許ってもうちょっと上手くデザインできないかな。

 そういえば、今年のノーベル物理学賞は日本人2名とアメリカ人1名に決まっていた。

 言わずもがな「アメリカ人1名」というのは日本に生まれ、当初は日本国籍だった中村修二氏なわけである。そして、彼が日本を去った理由もくどくど説明する必要がないほど有名だ。というわけで、この記事の本題に移る。といっても、特許を会社が取得するべきか発明者個人が取得するべきかなる話ではない。もう少し、そもそも論な話をしたい。

 特許というのは、国が合法的に、ある新技術の発明者が一定期間その技術を市場で独占できるようにするものである。

 本来、資本主義的には独占というのは好ましくない(はず)であるが、新技術発明に対するインセンティブとして、このような「例外」を認めているものと思われる。

 なぜ、独占は好ましくないか? 話は単純で、自由競争が妨げられるからであり、自由競争が妨げられると資本主義のセントラルドグマたる「見えざる手」が働かない。しかし、それでも特許制度が広範に存続しているということは、それを上回るメリットが存在しているはずである。それは何か。

 

 まず、特許制度の歴史をごく簡単に遡ってみた。

 最古の特許はたぶん東インド会社あたりに付与されたものかな、と思っていたが、Wikipediaの当該項目でざっと調べた限りでは結構古いみたいである。

特許 - Wikipedia

中世ヨーロッパにおいては、絶対君主制の下で王が報償や恩恵として特許状(letters patent)を与え、商工業を独占する特権や、発明を排他的に実施する特権を付与することがあった。しかし、これは恣意的なもので、制度として確立したものではなかった。


イタリアのヴェネツィア共和国では、現在知られる限り最初の特許は、1421年に、ブルネレスキに与えられ、1474年には世界最古の成文特許法である発明者条例が公布された。このことから、近代特許制度はヴェネツィアで誕生したとされている。


1623年にイギリス議会で制定された専売条例(Statute of Monopolies)は、それまで国王が恣意的に認めてきた特許を制限し、発明と新規事業のみを対象として、一定期間(最長14年間)に限って独占権を認めるとともに、権利侵害に対する救済として損害賠償請求を規定した。この条例の制定によって、近代的な特許制度の基本的な考え方が確立されたとされる。また、この条例は、ジェームズ・ワットの蒸気機関(1769年)や、リチャード・アークライトの水車紡績機(1771年)等の画期的な発明がなされる環境を整え、英国に産業革命をもたらしたと評価されている。

  そういうわけで、近代的な意味での特許制度は18世紀イギリスに始まるようだ。

 では、この時代のイギリスはどんな社会だったのか、を考えてみよう。大体の制度はそれが考案された当時の社会条件を色濃く引きずっている。

 18世紀のイギリスは、このトピックとの関連で見ればまず産業革命とそれを準備した時代として見るべきであろう。

 さて、産業革命の直接的契機としてはジョン・ケイによる新型の飛び杼(シャトル)であるが、彼自身は特許料の恩恵をあまり受けていなかったようである。

ジョン・ケイ (飛び杼) - Wikipedia

 そのため後年にはイギリスからフランスに移ってしまった。

 また、別の発明家で水力紡績機を作った人物であるリチャード・アークライトも特許によって十分、彼の権利が保護されていたとは(現代的な観点からすればだが)言えそうにない。

リチャード・アークライト - Wikipedia

 彼ら二人より幸運であったのは、蒸気機関の改良者として知られるワットである。

 彼はアントレプレナーだったが、元部下がその改良装置を作って売ったので収入が激減、裁判に持ち込み、この場合はワットの側が勝訴した。

ジェームズ・ワット - Wikipedia

 

 このように見ていくと、分かることの一つとしてこの時代の(発明に対する)特許はほぼ個人発明家の権利を保護していたようだ、ということが分かる(といっても統計とか見たわけではないので、その辺はちゃんと確かめたい。あるいは、これが間違っているとこの記事の結論も間違っているだろう)

 では、それではこの特許制度、ビッグサイエンスが主流となった現在でもこれがベストなデザインだろうか?

 実際には、イノベーションという側面から見た時には必ずしもベストとはいえないと思われる。

 ある意見では、特許は新しい発明発見のインセンティブとして働く一方で知識拡散を阻害するそれとしても働くと述べていることは少し調べると出てくる。

 また、すぐに分かるように特許制度は先行者優位を発生させ、事実上の独占であるとか寡占状態を作りやすい。これは、上記のように自由主義的には好ましくない状況である。更にいえば、特にソフトウェア産業のようの間断ないイノベーションが起きる産業では、小さなイノベーションがドミノ倒し的に次のイノベーションを生み出すことで業界全体が前進するが、特許制度はこれ阻害しかねない。

 これらの議論は、概ね正しいように思われる。では、どうすればこのジレンマを解消可能だろうか?

 特許は、もう少し上手くデザインできないだろうか?

 たとえば、個々の特許に関する特許料は少額に設定するが、それが他のイノベーションの下地になっている時、その発明に対する報酬を加算するなど。

 あるいは、アメリカあたりでは既にそういう意見は探せばあるかもしれない。