惑星からの逃走線

読書記録や研究上で思いついたこと、日々の雑感など。

史資料の情報量に関する分析

 要は、ある地域でどの程度の量、歴史的な情報が現代に伝えられたか。

 たぶん、これをプロットすれば(するだけでも)相当に面白いのではないか。

 当然、古い時代の史資料ほど残存率が低くなるのは容易に推測可能だし、戦乱等の混乱がある度にガクッと史資料情報量が落ちるのも予想できるが、ではどんなイベントがあるとどれくらい伝えられる情報は減るのか、とか、上手く残っている場合にはどの程度の規模の社会にはどの程度の情報量があった(必要とされた)とかもわかるかもしれない。後者はかなり楽観的な予測だが。

 もちろん、これを行うには当該地域の史資料を全てデジタル化・インデックス化し、更に史資料における情報量とは何かを定義し直す必要もある。

 史資料において情報量を定義し直すとは、要は史資料には単純に今使われていない文字もあれば、ごく微妙な違いが意味の違いに繋がる場合もあり、これを網羅的に考える必要がある、ということである。ディジタル人文科学の基本だ。

 また、史資料は必ずしも文字資料だけではないので、それらの処理をどうするかということも悩ましい。

 とはいえ、これらは基本的にはディジタル・ヒューマニティーズが日々扱っている課題であり、今後の進展に期待することは十分できよう。

 こうして得た史資料の情報量から、何が分かると予想されるか。

 まず考えられるのは、社会の規模(人口・経済等)や複雑さ(他の社会との交流の頻度、社会階層等)と社会に流通していた情報量に相関を見出だせないか、というのは社会科学的に自然な発想だろう。

 また、応用としては重要な情報をいかにアーカイブ化すればより長期間にわたって活用されるか、その創意工夫が可能になるかもしれない。

 もちろん、史資料のディジタル化・インデックス化を行えば他の可能性も大きく広がる。ディジタル・ヒストリーの応用例としては非常に初歩的かもしれないが、それでも今までは異なった視座を得られると期待したい。

 あるいは、探すところを探せば既にこういう研究はあるのだろうか……。