惑星からの逃走線

読書記録や研究上で思いついたこと、日々の雑感など。

「社会」に保存則はあるか?

(自分用の思いついたことメモ)

ちょっとだけTwitterで呟いたことを纏めてみる。

 

まず、保存則とは形式的に定義すれば、「ある系において何らかの量が時間変化しないこと」である。

これがあれば、その系に対してかなり物理学的というか数理的というか、そういったアプローチが可能になる。「変化しないもの」を鍵として、その系のエッセンシャルな部分を把握できるという訳だ。

(※なお、私が「保存則」「保存量」「保存系」の用語の区別を間違えていたり、そもそも定義が間違っている、ということなら親切な方に是非ともご指摘いただきたい。改めます)

 

早速問題になるのは、今我々が生活する社会は開放系で、物質的にもエネルギー的にも、そして(恐らくはこれが最も厄介だが)情報も外部とやりとりしている。

そうすると、時間変化をしても保存されるような量は中々考えにくい。

では仮想的に、物質的に閉じたような社会というのを考えてみるのはどうであろうか。

たとえば、イースター島の先住民はほとんど外部との交流もなく、ほぼ島内の資源をやりくりして生活していたと知られている。

このような状況下では社会はどのような運命を辿るだろうか。

イースター島の場合は、破局でしかなかった。他にも、孤立した島嶼環境での社会はかなりの程度、破局を迎えている。情報や物質が閉鎖的である場合、社会は破局を迎えることが多い。ある種の Natural Experiments を使えばたぶん実証的に研究できるものと思われる。

 

ただ、同時にイースター島の場合、際立って小さい(地理的にも人口学的にも)社会であったことも関係していそうだ。

この辺りはきちんと歴史学サイドから明らかにするべきかもしれない。

 

蛇足:

社会シミュレーションの弱点に関連してくる話かもしれない。

コンピュータ上のシミュレーションである以上、いかなる形の社会シミュレーションであれそれは(究極的・最終的にはだが)閉鎖系でしか有り得ない。

常にダイナミックな変化を起こす現実の社会、特に資本主義的なそれを再現したければ、外部から常に新しい物質・エネルギー・情報を与えてやる必要がある。物質とエネルギーは変数を設定してやれば良いだけだが、しかし情報はどういった形で供給すれば良いのだろう??