惑星からの逃走線

読書記録や研究上で思いついたこと、日々の雑感など。

『今,ここ』ではない時空。

 最近,あまりものを考えていない。

 毎日がだいたいルーチン化してきていて,たぶん簡素なシミュレーション内のエージェントになったらこういう感じなんだろうなあ,という気がする。

 下手をすれば,私の生活に関するあらゆる変数を綺麗にフーリエ変換できるのでは,とさえ思う。ノイズが乗っていない。

 

 そう,日々の暮らしというのは,誰にでもある。そこに意識的な『摂動』を加えうることは,シミュレーション内のエージェントにはなく,人間にはある特権であろう(たぶんだけど)

 毎日のルーチンに微少で良いから,少しずつ摂動を加えていこう。上手くタイミングが合えば,きっと無視できない変化になる,と思いたい。それが『今,ここ』ではない時空へ,我々を導くのだ。

私が善く生きるには,私は自らの死す日を知るべきではない

 昨日,ちょっとした勉強会のあとに友人らと駄弁っていたが,そこで(有限手番の)経済実験では最終ターンで一挙に協力率が下がってしまう,またそれはゲーム理論的に有限手番のゲームでは後ろ向き帰納法を使って考えることでも,ある程度は納得できる,などという話題になった。そう,有限手番のゲーム――正確には各プレイヤーがいつそのゲームが終わるかを知っているゲーム――では,最終ターンでは「勝ち逃げ」を狙い一気にほとんどのプレイヤーが裏切りだす。他方,無限ターンのゲーム,といっても実際にはいつゲームが終わるか各プレイヤーが知らないだけのゲームだが,では,上手く設計すると最後まで協力が維持される。

 無論,現実に近い状況としては無限ターンの方である。なぜか,我々のうちほとんどは自身の死ぬ日を知らないからである。

 人は,死への恐怖をどこかに抱いて日々を生きている。

 しかし,(少なくとも私くらいの年齢だと)その日はどうせ遠くだろうと,高をくくって生きてもいる。だからこそ,悪い言い方をすれば他者からの報酬/復讐を期待し/恐れて規範に従おうとする。

 社会的に見れば,人びとが自身が去る日を知らないでいることの利点は,このように明らかである。あるいは,死期を悟った人にも協力行動を維持させるべく『来世』というフィクションを提供していたのが,宗教という装置なのかもしれない。また,もううんざりする程に指摘されている「老人が傍若無人である」という事実も,こういった観点から説明可能な気もしてくる。明日,この世を去る可能性が無視できないとすれば,そして少なくとももう何年も現し世に留まらないであろうというならば,なぜ他人に気を遣うのか?

 

 宗教というものが,以前の力を様々な面で失いつつある今,人が『善く』生きることに必要な装置はなんだろう。正直,私は老人の眉を潜めたくなる振る舞いを,笑う気にはあまりなれない。単純に,自分が同じ状況ならば似たようなことをするだろうと思うからだ。やぶれかぶれな気分というのは,人間にそういう行動をさせる。

 仮にそれでも人に協力行動を維持させうる何かがあるとすれば,それは何であろうか。一つ考えうるのは,故人を牢記する習慣を生者が持つことではないだろうか。仮に自身が末節を汚してしまったとして,死後,たとえ自身は無に帰していようと,やはり「彼/彼女は生のほとんどを通じて善き人であったが,最後で踏み誤った」などと言われるのは,人間としてかなり嫌なものではないだろうか。もちろん,この方法では宗教ほど強い影響はないと思うし,また子孫に害が及ぶかもしれないという非常に大きい欠点もある。とはいえ,これ以外には私の思いつく手法はなかった。

 

 最後に補足を。以上の議論は,儒学的な言葉を使うならほぼ性悪説に基づいた議論だ。

 世界には,当然自身の恐ろしい定めにも,敢然として立ち向かった,立ち向かっている人びとは大勢いる。彼らの存在を,決して無視したわけではない。ただ,多くの人びとの最大公約数的傾向と,その対策について述べたまでである。

 ただ,もしも人間の寿命がたとえば100年なら100年と決まっていたら人びとはどうなってしまうだろうか。私は,たぶんとても虚無的な気持ちになるのではないかと想像する。やはり,死はいつ到来するかわからないからこそ恐怖であるが,しかし私は自分の死ぬ日を知りたくない。

人間の条件と,死者を想起すること。

 最近,5年前に亡くなった母方の祖父を思い出すことが多い。

 理由ははっきりしていて,同じような別れを母方の祖母とする日が,そう遠くない――もちろん,明日か10年後かは分かる由もないが――だろうという,漠たる予感があるのだ。

 人間にとって,やはり死は受け入れがたい。そして,にもかかわらず(あるいはだからこそ)死は万人に到来する。

 

 

 5年前の祖父の死は,私にとっては初めての近親縁者のそれであった。

 そのとき,彼はまさしく「ピンピンコロリ」とした逝き方をしてしまったので,しばらく彼が逝去したという実感さえわかなかった。

 ただ,もちろんそれは私にとってのことであり,半世紀を超えて連れ添った祖母には非常にショッキングであったろうことは,傍から見ていても察せられた。

 そして今,今度は祖母が「日々を死んでいっている」

 徐々に,彼女にできることは少なくなっているし,体力もかなり低下している。

 たぶん,彼女が亡くなれば,私は祖父が亡くなったときの彼女のような状態になるのではないだろうか。

 

 人は愛する者を亡くしたときに,何か為しうるところがあるだろうか?

 愛する者は既に無である以上,最早何も為しえない,が論理的には全く正しい解答であろう。しかし,人はそれに納得しない。どういうわけだか,(素直に考えれば)無意味な儀式を死後数年にわたって執り行い,繰り返し繰り返し故人を想起する。なぜ,人間は死者を想起するのだろうか。

 これを,死を目撃してしまいその恐怖を紛らわせるために弱い人間がしているのだ,といって片付けることは容易い。しかし,何故に人間だけ弱いのだろうか。大半の動物は,自身の死を予期して恐れたりしない。

 もちろん,これへの解答は「人間は他の動物に比べて極端に高い知性を持っているから」であるが,ではなぜ高い知性を持つことができたのか。

 

 累積的文化進化,という考え方がある。文化進化は遺伝子に依らない行動形式≒文化の進化であるが,それが特に累積的≒世代を超えて文化が蓄積されていく,という場合にこの累積的文化進化であるとされる。世代を超えて,というのがポイントで,要は先行世代の文化に次世代が磨きをかけるということだ。これこそが,人類の人類たる所以,人類が特別に高い知性を手にした理由,また特別に高い知性で行ってきたことである。

 ところで,これを行うには当然ながら死者の行動を牢記しておき,また適切に想起できねばならない。要は「死者(の行動様式)を思い出す」ことが不可欠なのだ。

 これは単に問題の言い換えかもしれないが,先の問,「なぜ人間は死者を想起するのか」に対して一定の解答になっている気もする。要は,高い知性を持ち文明を維持できるポテンシャルを持つことと,死者を想起してしまう/死者を想起できることは,表裏一体であるといえる。

 

 さて,私は祖母から改めて何を学べるだろうか。彼女はもう認知症で,『能力』という意味ではほとんど何もできない。しかし,それでも私は彼女の側で生活して,やはり重要なことを学んでいる気がする。たぶん,他者を敬う,他者に寄り添う,ということを(本当に私ができているかは全く別として)学びうるのだ,と思っている。

 願わくば,せめて私がそれを学び取れるまでは,祖母が元気でいてくれますよう。

 

ハンセン病―排除・差別・隔離の歴史

ハンセン病―排除・差別・隔離の歴史

 

 

 私は電車の中で,図書館から借りたハンセン病の隔離の歴史についての本を読んでいた。

 駅で電車が停まって,たぶん知的障害を持っているであろう人と,その親御さんと思しき人が乗ってきた。子どもの方は,あどけない赤子のように,世界の驚異(かつては我々もそれを見たはずである)を,逐一,親に報告していた。

(ちょっとうるさいな)

 と,私はある意味無垢にも思った。すぐに,嫌な気分になった。結局,私も差別者の仲間で,もう少し正確に言えば差別者たる己を自身の裡に飼養しているのだ,と。

 

 さて,私が読んでいた本には,ある人物が紹介されていた。医学者,光田健輔。日本のハンセン病隔離政策を,事実上作り上げた人物である。

 そういう意味では,全くの『戦犯』として彼を糾弾することも,また可能である。しかし,彼が隔離政策を推進した背景が,それなりに詳しく書いてあった。

 

 往時,ハンセン病患者の多くは故郷を追われ,『流竄』に身をやつし,野垂れ死んでいった。少なくとも千年以上前から,日本ではそうであった。

 この状況を看過しえなかったのが,光田健輔である。彼は患者に曲りなりにも居場所を与え,極めて閉鎖的とはいえ患者による社会を形成せしめた。

 しかし同時に,彼はハンセン病患者の隔離政策を徹底して推進した。ハンセン病の伝染力が極めて低いことが判明しても,また特効薬プロミンが開発されても,その傾向に変わりはなかった。ハンセン病患者の断種手術を推奨したのも,また彼であった。

 

 

 あまり,想像力に頼ってものを言うべきではない。しかし,私は彼の,いささか屈折した,ヒューマニズムと差別意識の複層的に組み合わされた精神の紹介を読んで,彼は結局のところ社会を彼の専門である人体のアナロジーで捉えすぎたのでは,そう思った。

 日本という『人体』を,『健康』にするためにハンセン病患者という『病原体』を除去する必要がある,と。事実,彼は国家や権力といったものに固執してしまったとの指摘も,同書にみることができる。

 

 

 私は,おこがましくも社会科学の徒を自称している。社会科学は,結局のところ(それがいかなる形であれ)「社会の」役に立って意味があるとも思っている。しかし,社会とはなんだろうか。一個の人体のような,そういうアナロジーは粗雑にすぎる。結局,役に立つとかいうのは人間の役に立つ,ということであろう。さっきの知的障害者は,車窓の景色を報告している。それを私の裡の差別者が,うるせえな,と舌打ちしている。列車は進む。私は進んでいるのか,進むことがそもそも良いことなのか。それさえ,わからない。たしかなのは,苦しんでいる人たちが,それぞれの生を抱いていることだけだ。

記憶の『読み方について』

『既在性』という,ハイデッガーの用語を知った。「記憶とは過去の事象を表すものであり,既に存在しないが記憶の想起は現在に属する事象である」ことを指し示すものであるらしい。

 

 一般に記憶は,過去の事象の痕跡と,それの読み方から構成される,と思う。基本的には,既在性の過去と現在の二重性は,この構成要素が二つに分割できることに対応しているとも。痕跡と読み方はそれぞれが現在に所属するが,両者が合わさることで過去という不在への扉が開く。

 

 さて,記憶の読み方についてである。記憶が仮に私が挙げたようなタプルを持つなら,当然のように読み方は時間的にコンスタントでなくてはならない。これがころころ変動すれば,当然記憶の恒常性は担保されないからだ。かつ,これは共時的にグローバルでなくてもならない。記憶の読み方が共時的な恒常性を持たなければ,過去を共有できない(といってもこちらの要請はあまり満たされていない――歴史認識問題に限らず,単なる民事訴訟でも)

 一方で,痕跡の方は時間的恒常性を満たせば良い。この違いは,謂わばチューリングマシンのテープと動作規則のそれに擬することができよう。

頭の中の真珠

 自分自身がものすごく辛かった時期のことを懐かしさをもって回想していることに気づいた。

 アコヤ貝は自身に侵入した異物から身を守るために異物を真珠に変えてしまうが,人間の精神も不快な記憶を『想い出』という形に変えてしまうのかもしれない,そういう比喩を考えた。

 しかし,大して適切でもない。人間の想い出って,現状に合わせて変わりうる。真珠は成長するが,コアの部分は変わらない。人間よりアコヤ貝の方が誠実なのだ。

 

 ふと思ったが,むしろ我々の『アイデンティティ』というものを,この世界という不条理の只中へ投げ出されたという事実,なる『異物』に対する防御反応として理解した方が,アコヤ貝と真珠の比喩が適切になるかもしれない。

 人は,生まれたときから不条理の中にいる。訳もわからず生まれ,そして同様にして死ぬ。そこで我々はアイデンティティというものを発明した。意味不明な世界,その中で自己の一貫性を保つために。すると,記憶≒想い出は真珠それ自体というよりは真珠を結晶させるための外套膜か。

 

 あのヌラヌラとした,お世辞にも美しくはない軟体動物の臓器から,斯様な幾何学的光学的美が発生する機構,そこに生命の神秘を観る方が一般的だろう。そういえば,ブッラクジャックにも『ときには真珠のように』なる重要エピソードがあった。

 しかし,私はなんとなく人間の精神,その内奥にも真珠が隠れているのではないか,我々の脳髄がもしかしてアコヤ貝の軟体ではないか,そんな気持ちを捨てきれずにいる。願わくば,己の真珠の光沢を,死ぬまでに見つけたいものだ。